ブラタモリ・名古屋編の足跡を辿る2017-06-29-Thu 21:41
6/10(土)と6/17(土)の2回にわたりブラタモリの名古屋編が放映されました。
1回目は名古屋城とその南側の城下町にあたる部分。
名古屋城は熱田台地の北端に築城されてて、その南側の旧城下町にあたる丸の内に私の勤務先のオフィスがあります。
オフィスに近い場所がTVに映ってるともうそれだけでテンションがあがります。
晴れてる時は浄心からオフィスまでママチャリで通勤しており、途中でちょっとした坂を上るのですが、それは熱田台地の下から上に登っておったんですねぇ。
あのR22の坂はそういう坂なんやぁ。
そんでもって会社のあるあたりは桑名町通とか長島町通とか長者町通といった通りがあるのですが、これは元々名古屋の中心であった清洲から人々を移住させた際に、清州の地名をそのままもってきたって話しも「へ~」って感じで面白かったです。
2回目は熱田神宮から話が始まるのですが、熱田神宮は熱田台地の南端にあって、その南側は旧東海道の唯一の海路になっていて、七里の渡しがあったんですねぇ。私、全然知りませんでした。
七里の渡しまで名古屋城からは7kmぐらいの距離があって、その距離問題を解決するために造られたのが運河「堀川」ってことでした。
私、ママチャリ通勤の際、いつもこの堀川を目にしているんですが、これが運河であることも、堀川という名前であることも先般のブラタモリを見るまで全く知りませんでした。5年も住んでて・・・。m(_ _)m
こちらも毎日のように見ているところがTVに映ってるんで「おー、あそこやん」って気になるのと同時に、なんかちょっと不思議な感じもしました。
ブラタモリの大阪の回より、はるかにテンションがあがりました。
なんか、徐々に名古屋が自分の地元みたいな感じになってきているのかぁ???
で、6/22(木)、2回目のブラタモリに出てきた堀川沿いのカフェに行ってみました。
会社のそばで、ママチャリの通勤コースにありますが、今まで全然意識したことありませんでした。
堀川に架かる五條橋。
この五條橋の奥というか西側にあるのが円頓寺商店街。
円頓寺商店街のアーケードの入り口あたりが、熱田台地の西の端になります。
そこまで下ってますよね。
で、五條橋の左側、つまり南側を向いて堀川を撮影。
この左にある黒い建物が、この時に行ったBlankaってカフェの裏側。
道路に面したカフェの表側にまわります。
カフェの横から堀川に下りられるようになっています。
下りて五條橋を見上げます。
で、やっとこさカフェの中に。
天井が高くて、木がふんだんに使われています。
カップにピントを合わせてちょっとオシャレ風。
マスターに階下に降りていいかきいてみたら、「いろいろ置いてますが、どうぞどうぞ」ってことで、階下へ。
すると、ちゃんとTVで放映されていたとおり石垣がありました。
堀川の石垣がこのカフェの内部に残されておる訳です。
堀川からちょっとセットバックしたような位置に石垣があるのは、堀川と石垣までの土地が荷揚場として使われていたということです。
下の写真の石垣の手前の木の床の部分は、昔は荷揚場として使われていたスペースにあたる訳です。
このカフェ、実は隣にある沖正商店って材木屋さんが経営してはります。
なので、ふんだんに木が使われてるんですね。
当然、沖正商店も堀川沿いにあって、こうやって店の真ん中に堀川に下りられる階段がついてます。
木曽川→名古屋港→堀川 と流れてきた木曽のヒノキ等の材木を堀川から荷揚げしておったんですね。
ちなみに、良質な木材の産地である木曽地方は尾張藩の直轄地みたいなところだったそうです。
江戸時代、尾張名古屋は日本最大の木材の集積地で、それで経済的に繁栄していったとのことでした。
地形と歴史を絡めて街を見て歩くってのはなかなか面白いもんですね。
1回目は名古屋城とその南側の城下町にあたる部分。
名古屋城は熱田台地の北端に築城されてて、その南側の旧城下町にあたる丸の内に私の勤務先のオフィスがあります。
オフィスに近い場所がTVに映ってるともうそれだけでテンションがあがります。
晴れてる時は浄心からオフィスまでママチャリで通勤しており、途中でちょっとした坂を上るのですが、それは熱田台地の下から上に登っておったんですねぇ。
あのR22の坂はそういう坂なんやぁ。
そんでもって会社のあるあたりは桑名町通とか長島町通とか長者町通といった通りがあるのですが、これは元々名古屋の中心であった清洲から人々を移住させた際に、清州の地名をそのままもってきたって話しも「へ~」って感じで面白かったです。
2回目は熱田神宮から話が始まるのですが、熱田神宮は熱田台地の南端にあって、その南側は旧東海道の唯一の海路になっていて、七里の渡しがあったんですねぇ。私、全然知りませんでした。
七里の渡しまで名古屋城からは7kmぐらいの距離があって、その距離問題を解決するために造られたのが運河「堀川」ってことでした。
私、ママチャリ通勤の際、いつもこの堀川を目にしているんですが、これが運河であることも、堀川という名前であることも先般のブラタモリを見るまで全く知りませんでした。5年も住んでて・・・。m(_ _)m
こちらも毎日のように見ているところがTVに映ってるんで「おー、あそこやん」って気になるのと同時に、なんかちょっと不思議な感じもしました。
ブラタモリの大阪の回より、はるかにテンションがあがりました。
なんか、徐々に名古屋が自分の地元みたいな感じになってきているのかぁ???
で、6/22(木)、2回目のブラタモリに出てきた堀川沿いのカフェに行ってみました。
会社のそばで、ママチャリの通勤コースにありますが、今まで全然意識したことありませんでした。
堀川に架かる五條橋。
この五條橋の奥というか西側にあるのが円頓寺商店街。
円頓寺商店街のアーケードの入り口あたりが、熱田台地の西の端になります。
そこまで下ってますよね。
で、五條橋の左側、つまり南側を向いて堀川を撮影。
この左にある黒い建物が、この時に行ったBlankaってカフェの裏側。
道路に面したカフェの表側にまわります。
カフェの横から堀川に下りられるようになっています。
下りて五條橋を見上げます。
で、やっとこさカフェの中に。
天井が高くて、木がふんだんに使われています。
カップにピントを合わせてちょっとオシャレ風。
マスターに階下に降りていいかきいてみたら、「いろいろ置いてますが、どうぞどうぞ」ってことで、階下へ。
すると、ちゃんとTVで放映されていたとおり石垣がありました。
堀川の石垣がこのカフェの内部に残されておる訳です。
堀川からちょっとセットバックしたような位置に石垣があるのは、堀川と石垣までの土地が荷揚場として使われていたということです。
下の写真の石垣の手前の木の床の部分は、昔は荷揚場として使われていたスペースにあたる訳です。
このカフェ、実は隣にある沖正商店って材木屋さんが経営してはります。
なので、ふんだんに木が使われてるんですね。
当然、沖正商店も堀川沿いにあって、こうやって店の真ん中に堀川に下りられる階段がついてます。
木曽川→名古屋港→堀川 と流れてきた木曽のヒノキ等の材木を堀川から荷揚げしておったんですね。
ちなみに、良質な木材の産地である木曽地方は尾張藩の直轄地みたいなところだったそうです。
江戸時代、尾張名古屋は日本最大の木材の集積地で、それで経済的に繁栄していったとのことでした。
地形と歴史を絡めて街を見て歩くってのはなかなか面白いもんですね。
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熱田台地
topcymさん、こんばんは。muchoです。私もブラタモリ見てました。宿敵タモリが名古屋に来たということで話題になってましたね。
高校を出るまで私が住んでたところは名古屋城から東に1kmくらいのところでして、熱田台地の北端にあたるところになります。家から少し北に歩くともう下りの坂がありました。
堀川は家康が作らせた時にはお城までしか通ってなかったんですが、明治になってから庄内川から取水するようになって、そちらは黒川とも言います。
基本的に堀川は流れのない川で私が子供の頃は特に水質が悪かったですね。大和川より悪かったと思います。最近は少し浄化されたみたいですけどね。
高校を出るまで私が住んでたところは名古屋城から東に1kmくらいのところでして、熱田台地の北端にあたるところになります。家から少し北に歩くともう下りの坂がありました。
堀川は家康が作らせた時にはお城までしか通ってなかったんですが、明治になってから庄内川から取水するようになって、そちらは黒川とも言います。
基本的に堀川は流れのない川で私が子供の頃は特に水質が悪かったですね。大和川より悪かったと思います。最近は少し浄化されたみたいですけどね。
RE:熱田台地
mucho1966さん、こんにちは。
しかし、なんでmucho66ではコメントできなくなっちゃったんでしょうね?
私、変な設定してしまったんやろうか? そんな記憶は無いんですけどね。
まあ、それは置いておいて・・・。
muchoさんって昔は名鉄瀬戸線の沿線にお住まいだった感じなのでしょうか?
大曽根よりはもうちょっと西側な感じ?
勝手に想像で書いてますが・・・。
で、堀川ですが、やっぱ流れが無いので水質がマシになったとはいえ、今でも特に気温の高い時期はにおいますね。
そんでもって、浄心から東に走ると水路的なものがありますし、地名も黒川ってところがありますが、あの水路みたいなんが黒川なんでしょうか?
名古屋には5年以上おる訳ですが、限られた週末しかおらんで、やっぱ、あまり土地勘は無いままです。車が無いってのもありますが・・・。
まあ、たまにでも自転車に乗るので、ちょっとだけはわかりますが・・・。
やっぱり、実際にその場所に行ってみないとその土地の事はわかりませんね。
それから、タモリってやっぱり名古屋人的には宿敵?
タモリは親しい人に名古屋人が多く、なので名古屋弁(尾張弁)はほぼネイティブって言ってましたが・・・。
しかし、なんでmucho66ではコメントできなくなっちゃったんでしょうね?
私、変な設定してしまったんやろうか? そんな記憶は無いんですけどね。
まあ、それは置いておいて・・・。
muchoさんって昔は名鉄瀬戸線の沿線にお住まいだった感じなのでしょうか?
大曽根よりはもうちょっと西側な感じ?
勝手に想像で書いてますが・・・。
で、堀川ですが、やっぱ流れが無いので水質がマシになったとはいえ、今でも特に気温の高い時期はにおいますね。
そんでもって、浄心から東に走ると水路的なものがありますし、地名も黒川ってところがありますが、あの水路みたいなんが黒川なんでしょうか?
名古屋には5年以上おる訳ですが、限られた週末しかおらんで、やっぱ、あまり土地勘は無いままです。車が無いってのもありますが・・・。
まあ、たまにでも自転車に乗るので、ちょっとだけはわかりますが・・・。
やっぱり、実際にその場所に行ってみないとその土地の事はわかりませんね。
それから、タモリってやっぱり名古屋人的には宿敵?
タモリは親しい人に名古屋人が多く、なので名古屋弁(尾張弁)はほぼネイティブって言ってましたが・・・。
RE:熱田台地
そうですね、瀬戸線沿線になりますかね。駅では東大手か清水が近かったです。どちらも徒歩7、8分くらいかな。大曽根よりはかなり西ですね。
ご指摘の浄心付近から伸びてる水路が黒川です。あれを北東に進んでいくと庄内川にあたります。そこで取水して少しでも流れるようにしたようです。
「エビフリャー」なんかはタモリが言い出して全国区になったし、いいともやる前はかなりキワモノの芸人やったから、生理的にアカンという人は多かったんちゃうかと思います。
コメントできなくなったんはある時、コメント送信のボタン押したら反応がなくて、何回か押してたらスパムと思われちゃったみたいな感じです。
ご指摘の浄心付近から伸びてる水路が黒川です。あれを北東に進んでいくと庄内川にあたります。そこで取水して少しでも流れるようにしたようです。
「エビフリャー」なんかはタモリが言い出して全国区になったし、いいともやる前はかなりキワモノの芸人やったから、生理的にアカンという人は多かったんちゃうかと思います。
コメントできなくなったんはある時、コメント送信のボタン押したら反応がなくて、何回か押してたらスパムと思われちゃったみたいな感じです。
RE:熱田台地
mucho1966さん、おはようございます。
チャリで走ったことがあるあたりだったら、mucho1966さんとのやり取りにもなんとかついていける感じです。
東大手駅のあたりだったら柳原の商店街の南の端にあるジャズ喫茶に行った際に走りましたわ。
タモリは今でこそ超メジャーになりましたけど、はじめは深夜限定のタレントさんって感じでしたよね。イグアナとかハナモゲラ語とか四か国語麻雀とか・・・。
当時はタモリに違和感もしくは嫌悪感を持つ人は今よりはるかに多かったんでしょうね。
チャリで走ったことがあるあたりだったら、mucho1966さんとのやり取りにもなんとかついていける感じです。
東大手駅のあたりだったら柳原の商店街の南の端にあるジャズ喫茶に行った際に走りましたわ。
タモリは今でこそ超メジャーになりましたけど、はじめは深夜限定のタレントさんって感じでしたよね。イグアナとかハナモゲラ語とか四か国語麻雀とか・・・。
当時はタモリに違和感もしくは嫌悪感を持つ人は今よりはるかに多かったんでしょうね。